そのお店は、いつも行く図書館の前の
細い道を挟んだ向かい側にあります。
住宅の並ぶなか、民家の一階を改装した作り。
かなり前からあったのですが、店名を見て
なぜか麻雀俱楽部だと思い込んでいました。
ある日、「ラーメン」の赤文字入りの
黄色いのぼりが立てられていたのを見て
ラーメン屋さんだと気付きました。
お休みの日も多いらしく閉まっていることしばしば。
なんとなく時は流れ
私が初めてそのお店を訪れたのは4年前の春。
お昼時を過ぎていたためか、客は私ひとり。
入口すぐのカウンター5席と奥にテーブル席が3つ
10人ぐらい入るといっぱいになるようなお店を
店主さんがひとりで切り盛りしています。
カウンターの端っこに座ってメニューを見ると
しょうゆラーメン600円
+大盛100円の二択。
しょうゆラーメンを注文しました。
良く晴れた、その月にしては暑いぐらいの日。
ぼんやり出来上がるのを待っていると
店主さんが話しかけてくれて
お店の成り立ちから歴史を教えてくれました。
スッと背筋の伸びた姿勢の、優し気な雰囲気の方。
お若く見えますが、そのとき御年83歳。
お店をはじめたのは20年ほど前
幼馴染の同級生たちに勧められたのがきっかけ。
地元の仲間たちが集まる場所にしたい思いもあり
ラーメン屋さんをはじめたそう。
実は若い頃から別の仕事で地元を離れ
現在は首都圏に住んでいらっしゃいます。
定年後、店主さんは地元に戻りたかったけど
同じ地元出身の奥さんは都会の暮らしが快適で
戻るつもりはないとのこと。
今は毎月1~15日に首都圏の自宅から
新幹線でやってきて営業しているのだそう。
それでお休みが多いと感じたんですね。
最近は夜明け前からの仕込みが辛くて大変なんだけど
仲間が応援してくれているので続けられている。
奥さんには…いい加減にしなさいと言われている。
ラーメンの値段にもこだわりがあり増税にも値上げせず。
ラーメンは気軽に食べられるものでありたいから。
などなど、などなど。
その日私はあんまり元気がなかったんですが
いろいろお話を聞いてなんとなく元気がでました。
ラーメンも素朴で美味しかったです。
そのお店がコロナ禍でずっと閉まっていました。
はじめはお店のドアにコロナで休業の張り紙
そのあとしばらくするとシャッターが下りて
いつの間にか数年が経ちました。
この年代の方の一年は
小さなお子さんの一年と同じくらい
変化があってもおかしくないので
お年のことを考えると再開するのかな?
と思っていたのですが
この春、あの赤い文字に黄色いのれんが。
これは行かなくちゃと
先日はちょうどお昼時に訪れました。
お客さんで満員盛況でしたが、運よく
帰る方がいてカウンター端っこに着席し
しょうゆラーメンを注文。
店主さんお変わりないご様子で腕を振るってます。
少しすると
奥のテーブル席にいた高齢女性のお客さんが
自分のどんぶりを持って
おもむろにカウンターの中へ入っていき
山積みになっていた食後のどんぶりを
次々洗って片付けはじめました。
同時に奥のテーブル席ほうから
その方のお友達らしい女性が
来たばかりの若い男性二人連れのお客さんに
お店の歴史を語っているのが聞こえます。
「私たちは開店当初からの仲間なの…」
「店で集まる友達がいっぱいいたんだけど
ひとり死んだり死んだりしてね~
ひとりが二回死んだんじゃないのよ」
と明るく元気におしゃべり。
店主さんが御年87歳になられたことも
若いお客さんにアピールしてました。
(ご自分の年齢も83歳だと告知してました!)
黄色いのぼりを見たときに
あの名作映画「幸せの黄色いハンカチ」を
見たような気持ちになった私。
店主さんは、あの長いコロナ禍の時期を
どんなお気持ちで過ごしていたのかしら。
再開までのモチベーションは何だったのでしょう。
今回は次々お客さんが来て
とても忙しそうでうかがうことはできなかったけど
来月は時間をずらして行ってお尋ねしてみたいです。
ちなみに店名は
「友だち」の意味を持つ中国語が語源の言葉。
私はそれで麻雀屋さんと思い込んだみたいです。