読書週間、タイトルを聞いただけでそのストーリーが一瞬で思い浮かぶ、名作の凄み。
「日本の名作 くもの糸」(講談社 1970年10月第1刷) 文 芥川龍之介 絵 朝倉摂
あまりにも有名なお話…
たぶん内容を説明する必要はないのでは、日本人ならどなたでも一度は読んだことがあるのでは、と思える作品。
私も昔何度か読んだことがあるのですが、朝倉摂の絵が見たいという理由で、本書を図書館から借りました。久しぶりの再読です。
ご存じ、お釈迦様が地獄を覗き、クモを助けたことのあるカンダタに地獄から抜け出すチャンスを与えるというお話し。
実は、前に読んだ時もちらりと思っていたことが。
いくらクモを助けたことがあるといっても(それもたった一回)、人を殺したりいろいろ悪事を働いた大泥棒をそんな理由で救済してもいいのか。
それに、文章を読んでみると、クモを助けたといっても、積極的な行為ではなく、ただ踏まなかっただけなんじゃ?いくらカンダタがクモを「かわいそうだ」って思ったとしても、踏まないことは当たり前のことなんじゃ?助けたことになるの?と。
今回の再読で、さらに疑問が。
カンダタは、クモの糸を登っている途中で疲れて地獄のほうを振り返ります。すると何百、何千となくほかの罪人たちが、カンダタのあとに続いてクモの糸を登って来るのが見えて、糸が切れてしまったら大変と心配になります。
でも。。。すでにそんなに大勢の罪人が途中まで登ってきているのであれば、切れるものならとっくに切れているんじゃ?そこまで考える余裕がなかったといわれればそれまでですが。もっと冷静になればよかったのに。
さらに言えば。
お釈迦様のお情け、かえってカンダタにとっては酷なことではないか、と。いくら一度クモを助けたとはいっても、単に踏まなかっただけ。悪事の数々を考慮すると、カンダタがどういう行動をとるかお釈迦様ならお見通しで、この結果ははじめから見えていたんじゃないですか。
すでに地獄で長い間罰を受けているようですが、さらにダメ押し。。。なんだかカンダタ気の毒。そっとしておいてあげるわけにはいかなかったのでしょうか。
・・・お釈迦様、お遊びが過ぎまする。
今日は私の気分がちょっと斜めだったのか、こんな感想になりました。
初見だと恐れ多くて言えないことも、何度か会っているうちに言えるように。勝手にこちらが親しくなった気がしているだけかもしれませんが、これも名作再読の醍醐味⁉
とは言え、やはり画家の絵は物語の余白を語る見事なものでした。けがれなき蓮の花が咲く極楽と、血の池で浮いたり沈んだりする罪人たちの鬼のような険しい顔つき、できればやっぱり極楽がいいです。
現代の人気極楽浄土。